こんにちは。chiaです。
前回の記事でオンラインゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」ファンの審神者の方向けに、
福岡にあるとうらぶの聖地をご紹介しました。
今回は旧福岡藩主・黒田家の家宝として福岡にゆかりのある鎗、日本号が「呑み取りの鎗」と呼ばれるようになった由縁をはじめ、日本号にまつわるアレコレをまとめてみました。
前回の記事はこちら☟
日本を代表する鎗(やり)!日本号とは?
日本号は大身槍(おおみやり)と呼ばれる、穂先が一尺(30.3cm)以上の大きな鎗。国名を名前に持つ、何とも豪華な一振です。
日本号は(作者は明らかになっていませんが)戦国時代に打たれたと伝わり、その完成度の高さからかつては皇室御物(皇室の所有物)として正三位の位を賜ったという伝承が残ります。
正三位は元々人間に付けられる階級で、かつてこの位を叙された人物を調べてみると西郷隆盛や小倉藩初代藩主の細川忠興(打刀の歌仙兼定を所有していました)、そして黒田官兵衛の息子で同じく黒田家の宝物として伝わる名刀「へし切長谷部」を所持した黒田長政などが挙げられます。
歴史に名だたる人物と並ぶ位を武器にして持っていたとはなかなかスゴいですよね…。
現在は消失している御手杵(おてぎね)、静岡県の佐野美術館に収蔵されている蜻蛉切(とんぼきり)と並んで天下三名槍の一つに数えられています。
「呑み取りの槍」のエピソード
日本号にまつわるエピソードとして有名なのが、「(日本号を)酒で呑み取った」という逸話。
このエピソードは、豊臣秀吉に属する武将、福島正則の元に日本号があった頃にさかのぼります。
黒田長政の家臣であった母里友信(もり とものぶ)は使いとして正則のいる京都の伏見城を訪れた時のこと。
酒豪であった正則は友信に酒をしつこく勧めました。友信は断りましたが正則は「呑み干せたなら好きな褒美を取らせる」と言った上に、「黒田の武士は酒に弱く酔うと何の役にも立たない」と家柄をおとしめるような発言をします。
そこで友信は大杯に注がれた酒を一気に呑み干し、正則の家宝であった日本号を所望。
酒比べに負けた正則はしぶしぶ日本号を黒田家に譲り渡すこととなったのでした。
福岡の人間の男意気を示す逸話としてこのエピソードは後に「黒田節」として福岡に広く伝わることとなり、現在でも歌い継がれています。
酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士 (黒田節 一番歌詞より)
渋い・・・!渋いぞ・・・!
この渋さがたまりません。
黒田節にまつわるスポット
日本号をモチーフとして歌い継がれる「黒田節」。
現在も黒田節にまつわるスポットがいくつか存在します。
①博多駅前の黒田節銅像
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JR博多駅前、駅前広場にある銅像。
大きな杯を持った母里友信と日本号が彫られており、下には黒田節の歌詞が書かれています。
6月になると、この銅像(母里友信)が見つめる先に土台が組まれ、櫛田神社の大祭「博多祇園山笠」の豪華な飾り山笠が置かれます。
御幸宮神社(京都)
京都・伏見区にある御幸宮神社の付近には「黒田節誕生の地」の立札が立っています。
呑み取りの舞台、福島正則の屋敷が伏見区の桃山にあったことから、こちらの場所が逸話誕生の地として紹介されているということですね。
伏見には宇治川が流れ、豊かな水源があることから酒どころとしても知られており、
近くには酒造会社である月桂冠の本店などもあります◎
日本号は年間展示でいつでも鑑賞できます
呑み取りの鎗として豪快な逸話が残る黒田の名宝「日本号」。
福岡市博物館で常設展示されているため、いつでも鑑賞することができます。
カメラに収まりきらないほどの巨大な刀身と凛々しい姿に、実物を目にしたら感動すること間違いなし!
大酒を呑むことと引き換えに母里友信が所望したのも頷けます。
興味を持たれた方は、ぜひ足を運んでみてくださいね。